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シネマインタビュー |
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美しい映像がノスタルジーを刺激する
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インタビュー:山本英司/構成:編集部 |
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7月29日よりシネマ・カリテにて公開/配給:KSS/宣伝:スローラーナー
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「動機は不純じゃなくちゃ。その中に、純粋なものがあって、それがいいんだ」と行定監督は最後に語ってくれた。初対面の、しかも『ひまわり』1作しか観ていないのに失礼だが、予想通り相米慎二監督やラッセ・ハルストレム監督がお気に入りで、シネマ・ネコのプリントアウトを見つつ、「『あの子を探して』よかったでしょう? これ、予告編観て絶対にいいだろうと思ったんだよなあ」と気さくに話してくれた。『Love Letter』などの岩井作品の助監督を務めた行定監督の『ひまわり』は、どこか岩井テイストの香りが残っている。ラストシーンでいくつか疑問があったのだが、最後の質問へのコメントと、帰り際に雑談で聞いた「動機は不純じゃなくちゃ」という一言で色々なことが氷解した。それをキーワードに考えてみると、『ひまわり』が単にノスタルジックを売りにしただけの映画ではないと思えるのだ。 |
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――ふんわりした感じの映画ですね。小学生時代の「初恋」、そして「同窓会」というシュチュエーション。学校を出てしばらく経ちますが、最近だと同窓会というもの自体から、仕事でなかなか縁がなくなっちゃいまして。ああ、昔はワイワイ集まれたなあという、二重の意味での懐かしさがありました。 行定 『ひまわり』は、今じゃないと作れないと思ったんですよね。年齢的に。これから10年後に、こういうネタを映画にするというのは……。きっと、ずいぶん遠ざかっちゃっているじゃないですか。今でさえ遠いのに(笑)。今回のスタッフもだいたい同じくらいの年代で、今じゃないと、このノスタルジーな気分は作れないんじゃないかと。観客の方にとってもね、10年後だと、子供のころに山で遊んだりとか、経験している人がきっと少ないだろうと思うんです。 |
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――狙いとして、こうしたノスタルジックな感じを出そうというのがあったわけですね。 行定 ええ。最近の日本映画って、頭良くなっちゃって、上から俯瞰目に見て描いている映画が多い気がするんですよね。個人的な原風景とか、そういうものは持ち込まない。外国の映画ではそういうのがたくさんあるでしょう。最近では、ラッセ・ハルストレム監督の作品なんかは、あるひとつのノスタルジーがあって。 ――『やかまし村の子供たち』あたりでしょうか? 行定 『やかまし村』もそうなんだけど、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』とか。僕は岩井俊二監督と一緒に仕事して、上手く仕事が出来たのは、彼の持つノスタルジックさの加減が似ていたんですね。ラブストーリーで、あえて正攻法から少し外してみたり……。 ――はい。 行定 そういうものが出てくると、批判もあるわけですね。でも、狙って作っているわけじゃなくって、自分の思い出をベースに映画にしているだけで、作為的ではないんです。僕も似たタイプなんですが。 ――自然体というか……。 |
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行定 ところが、小難しい映画が映画祭で受賞すると、評価されて、みんなそっちに走ってしまう。でも、そっちの方が作為的じゃん、みたいな(笑)。そういうの、ものすごくイヤで。 ――過去の部分を中学生や高校ではなく、小学生時代に設定したのは、その時期が監督にとって一番、思い入れの深い時期だったということでしょうか。 行定 小学生時代って、けっこうショックな出来事がたくさんありました。今後、映画にしようと思っている話もたくさんあるんです。たとえば、友人の死に初めて直面したのが小学生時代です。とてもショックで、これもいつか映画にしたいとずっと思っています。自分にとってはそういう時期で、なおかつ、小学生だと友達との間の悪意があまりないと思うんですね。 ――はい。 行定 今回は朋美ちゃんになるわけですが、小学生のころだと、何となく仲間はずれにしてみたり、ハッキリした理由はないんですよね。そういうのが中学あたりだと、もっと陰湿になりますよね。 ――そうですね。もろにイジメというか。 行定 「あの時代は面白かったよね」って言えるのは、たぶん小学生時代で……中学や高校となると、今と変わらない人格が形成されているという。僕、早熟だったんで(笑)。映画を見はじめたのも中学生時代でしたし、演劇とかね。今はその延長上で。 ――監督にとっては、小学校時代が「過去」というひとかたまりになっていて、中学校以降は今につながるわけですね。 行定 そうですね。 |
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――小学生時代のシーンで、子供たちがあまり過剰にしゃべるわけでもなく、とても透き通った印象があって、綺麗だなと感じました。それで、僕はやはり『打ち上げ花火』や『Love Letter』を思い出しました。『Love Letter』の場合、中学生時代ですけれど、何かをキッカケとして過去の出来事を思い出して行くというスタイルでしたよね。 行定 『Love Letter』はね、近年では最高の脚本だったですね。僕にとっては。はじめて脚本を読んだときにはすごくショックでしたね。こんな脚本書くヤツがいるんだなあと。たとえば、雪山で遭難する樹(いつき)って、子供時代しか出てこないじゃないですか。僕はそれがいいと思ったんです。 ――ええ。 |
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行定 ところが、『ひまわり』では大人時代の朋美を出しちゃっている(笑)。最初に出来た脚本は、子供時代の朋美の印象で、お葬式で友達が語っていると。でも、それだとオレが助監督のときに感じていたことの、まさに反復になってしまう。そこで、岩井監督が『Love Letter』で大人時代を描こうとしていたときに、やろうとしていたことを、自分なりに違う形で出来ないかなと。 ――なるほど。大人時代に関しては、『Love Letter』との関係もあるんですね。 行定 ないようで、あるというか(笑)。それで脚本家の佐藤君と話したことは、お葬式なんだから、輝明(袴田)の知らない最近の彼女の知人も来るはずだと。そこは自分なりに納得行く形になったと思うんですけどね。 ――基本のプロットは佐藤さんが書かれたのでしょうか? 行定 いえ、僕が原案をしゃべって、佐藤君がそれをまとめて書くという形です。それで、死んだ彼女について話しているとすれば大人時代も出てくるよね、と。それでも、もうちょっと何か足したくて、子供時代の想い出をもう少し……釘差しとか、あと、もっと普遍的でファンタジーになるものを取り入れたいと思って、「日蝕」ですね。本当はなかったかもしれないけれど。日蝕だと金環蝕で顔が見えない。これは顔が思い出せない。でも、陰ったら顔が見えるんで初恋の女の子の記憶のメタファー(暗喩)になるんじゃないかと。構造を佐藤君が書いて、細部を僕が足していくんです。 ――ドッヂボールのネタは監督のアイディアですか? 行定 ええ。原案協力の樽谷さんと前に書いた話があって、ここで使おうと。こういう、ありがちなエピソードを、あえてやってみたかった。靴を隠すとかドッヂボールとか、大人時代でふたりの女が鉢合わせになっちゃうとか。どっかで聞いたことある話を、映像でどう解釈して見せるかというのをやってみたいと。北野武さんの映画を観て思うのですが、けっこうありがちなエピソードが描かれているでしょう。『キッズ・リターン』とか。昔よく聞いたりやったりしたようなこと。ありがちだけど、それが面白い。これは見せ方の問題なんだなって、僕はずっと思っていました。そういう意味でも、俯瞰目の映画じゃなくって、僕個人が体験したことをベースに映画では描いた方が、面白いのではないかと。まとめない、というか。多面的に見せたいなと。 |
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――エピソードを最後に閉じていない映画ですね。色々な人が出てきて、色々なことがあるんだけれど、明確な解答はない。結局、何が解決したかということはなくって、ただ印象として残るのが、ボールのやり取りのシーンであったり……。それと、雨のシーンについてうかがいたいのですが、実に見事な雨だと思いました。まさに降るべきところで、雨が降り出して。 行定 昇降口だから雨っていうか(笑)。『Love letter』のときから撮りたいと思っていたんですが、あの作品は雪だったので。僕の昇降口のイメージは、雨なんです。雨宿りをしているというか。で、昇降口だから靴を隠すと(笑)。 ――靴は隠したくなりそうな感じがします(笑)。私も実際にそういう経験はしていませんが、やっぱりそこで隠してしまうという小学生の気持ちは分かります。 行定 あの昇降口のシーンはスタッフの間でも好評だったんです。男の視点から観るからだと思うんですね。あれって最後までシナリオにはなくって、僕は輝明(袴田)が自発的に記憶をたぐりよせるモチベーションが必要だと思ったんですね。靴を隠してしまって、好きな女の子が裸足で帰る。すごく小さな罪ですが、それを影で見ていて、ものすごく傷ついたと思うんですよね。その後、転校してしまったので、そのことは抑圧されて、すっかり忘れていた。ところが、あそこの場所に行ったために記憶が蘇ると。 ――はい。 行定 自分が友人に対してひどいことをしてしまったな、という記憶っていうのはけっこう覚えているんです。昔、雪合戦で、悪気はないんですが石を入れて……。つい好きな女の子に投げるじゃないですか。石入れていること忘れて。それで、おでこに怪我をさせてしまったことがあって(笑)。 ――女の子にですか? 行定 そう。あと、間違って川に落としたりとか(笑)。実はオレがやったんだよ、みたいな。言えないんだけど(笑)。 ――女の子をですよね? 行定 それでだーっと流れて行っちゃったりして(笑)。ああ、大変だー、みたいな。言えないんだけど、オレなんだよね、ホントは。とかね。あったですね。子供のころは。輝明のやったことは、そんなに残酷じゃないはずなんですね。でも残酷に見えた方がいいと思ったんですね。でも、彼女のこと好きだったんだよね、という。仲間はずれにされている子を、好きだと言えない自分みたいな(笑)。 |
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――ちょっと戻るのですが、昇降口のシーンの雨にはかなり気合いが入っていましたね。 行定 あれはねえ、いい雨だったでしょ。 ――ええ、いい雨でした(笑)。 行定 普通は専門のスタッフを使うんだけど、予算がなくて、助監督とかみんなで「それ、もっと降らせ」と。ホースで。本当はもっと微妙なしとしとした雨にしたかったんですが、その度合いが調整できなくて(笑)。あんなにざーっと降ってしまって、でも、音を付けたら意外といい雨じゃんと。みんなでやっていたから、そういう意味で良かったんじゃないですかね。 ――実によく雨が降っているなあと。最近観た映画の中では、とてもいい雨のシーンだと思いました。相米慎二監督の……ええと、『夏の庭』でしたっけ。雨が降るところも、分かっちゃうんですよね。人が降らせているなあって。 行定 『お引っ越し』ですね。向こう側が晴れているんですよね(笑)。 ――あ、そうでした。あの雨のシーンとか、岩井監督の『四月物語』でも、雨は降っているんだけど、僕としてはちょっと不満というか……。『ひまわり』は実にうまく雨のシーンが物語に溶けこんでいると思いました。 行定 学校ってう舞台がいいのかもしれないですけどね。街の軒先とか、どっかの住宅街とか……。相米監督の映画って、僕はファンでずっと観ているんですが、昔はすごくいい雨が降っていましたけどね。『お引っ越し』では、あえてあの部分しか降らさないことで、劇空間的な雨になって。その向こうが降っていないという雨がすごいなと思っていたんです。実際、助監督さんに聞くと、「範囲としてそこしか降られなかった」。でも、相米監督はそのことを分かった上で、あえて降っていないところを見せたんじゃないかと。 |
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――あと、ぜひうかがいたいのは光のことです。撮影の福本さんのタッチもあるのだと思いますが。 行定 まず、福本さんとは助手時代から一緒にやってきているというベースがあって、彼の師匠は篠田昇という岩井俊二との盟友ですから。そことは違う何かを作ろうというのがあるのと、基本的にああいう逆光目というか。岩井俊二監督の映画が、今までの日本映画と映像美が違うということをずいぶん言われていたと思うんですが、それは基本的には逆光なんですね。彼の映画は。顔を落として輪郭だけを出すという。この身に付いている基本があって、さらに僕の好きな画があって、福本さんはそれを一番よく分かっている。だから、『ひまわり』を観たときと、他の作品の福本さんの画はたぶんちょっと違う。 ――ええ。 |
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行定 「こういうの好きでしょ」って言うんですよね。基本的には任せているけど、配慮してくれていますね。食い違いはないです。 ――あの光の使い方というのが、もう、時として露出オーバーじゃないかってくらい、画面に光を取り込んでいますね。それが、昔、『Love Letter』ですとか、強烈に光によってノスタルジーを刺激するなと。なかなか他の映画ではそういう撮影をしているものがないなあと……。 行定 僕も福本も、これから変わっていくと思うんですが。光をおさめない、外の背景が見えた方がいいときも、全部光で飛ばしちゃう。このやり方っていうのは、岩井俊二と篠田昇がやってきたことで、それをベースに、僕らはもっと違うモノを目指してはいます。でも、今はそこをもう一度やっておきたいっていう気持ちがあるのかもしれないですね。どこが一番強烈でした? みんなが部屋にいて笛の話とかアルバムとか、あのシーンじゃなかったですか? ――いえ、そこもありましたけれど、私はみんなで日食を見に行くシーンですね。森の中なのかな、木漏れ日の……。 行定 ああ、木漏れ日の光ね。 ――ええ。そこで憧れの女の子(朋美)がぱーっと輝いちゃって。 行定 あれはその場での判断だったんですね。実際の木漏れ日の強さなんです。ライティングはしていませんから。それで、あのシーンは増感現像しているんですね。ほんのわずかな光でも飛ぶんですね。 ――ええ。 行定 でもね、部屋のシーンの方は、本当は昼間に撮らなくちゃならなかったのが、夜になっちゃって、外から光を当てまくっているんです。ライティングで窓の外を飛ばしちゃうという。その方がキレイだし。それで、せばめられた中で、美しいモノを作ろうと。これはあまり時間が充分に与えられない僕らの時代には、そういうところの工夫は必要なんじゃないかと。そうすか、光ね……。 ――やっぱり、光だなと。 行定 キレイだなってみんな言うんですけど、僕らは通常の日本映画みたいに、人物にライトをあてるという概念がないですね。その方がキレイなのかもしれませんが。まず全体の光を作って、そこから芝居をやってもらうという。どう動いてもいいように。影になってもいいし。 ――あ、そうなんですか。 行定 ある程度、芝居のプランは僕が立てますが、俳優と話して、大体オッケーとなったら照明を作って、どこでもカメラを振れるように。時間もかかっちゃうんで。僕らの方が雑かもしれない。大きくやっているというか。 ――カメラは2台くらいですか? 行定 1台です。 ――1台ですか? じゃあ、アップとか切り返しとかは……。 行定 全部撮ります。引きでワンシーン・ワンカットの芝居を全部撮って、次にアップを撮って、それを編集して。 ――芝居としてはまずひとまとまりのものをやるわけですね。 行定 そうですね。それは岩井俊二監督とやりながら出来てきたひとつのやり方ですね。役者にとってそれが一番いいと僕は思っているんです。自然な流れというかね。ハンディカメラが多いのもそのためです。その方が躍動的に人物を捉えられるんですね。 ――リハーサルは繰り返される方ですか? 行定 いえ、あんまりやんないですね。2回とか、多くて3回くらい。それで芝居をしてもらって、まずは引きから撮って、だんだん寄っていくという。芝居は変わってもいいよって言っています。いいところを使うからと。最後はアップを撮ります。ただ、1回目がいい人もいれば回数重ねた方がいい人もいるんで微妙ですけどね。何度も同じことをやるんで、役者はきついでしょうけれど。泣くシーンとかについては気をつかいます。 ――『ひまわり』のタイトルはどこから出てきたんでしょうか。 行定 最初は『彼女の思い出』って仮題で書いていたんですが……夜にひまわりが咲いているというシーンを佐藤君が書いてきたんですね。そこからですね。ひまわりって太陽に向かって咲く花ですから、この主人公の女の子は夜のひまわりなんだろうと。どこに向かって咲いたらいいか、分からないまま死んでしまった。死んでしまったかもしれない。 |
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(以下ネタバレに付き、観賞後にお読みください) |
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